- はじめに -
タイトルが575です。
大学、大学院と進学し、就職して半年が経ちました。
今はコード書いたり研究活動するタイプのエンジニアとして働いています。
最近、大学でも会社でも評価されるのに誰も教えてくれない事があるなと思いました。
それは高専の時教わった「無ければ作る」という考え方です。
これがすごい大事だなあと思っているので、よしなに書いていこうという記事です。
- 無ければ作るとは -
高専に在学して居た頃、プログラミングの先生も電子回路の先生も口を揃えるように言っていました。
「無いものは自分で作ってみなさい」「まずは自分の手を動かしてみなさい」と。
「望んだ物や環境がこの世に無いならば、あなたが作れば良いんです」と。
高専に居た頃は「いや、でもそんなの無理…」とか、よく思ったりしました。
望むものって大体自分の手が届くか届かないか分からない所にあって、多分届かないだろうと思ってしまうんですよね。「やったことないけど旋盤でパーツを加工をしないといけなさそう…」とか何とかなるか微妙なレベルの物もあれば、「学校の制度自体を変えないといけない」とか絶対無理そうな気すらします。
高専ではこういった事象への訓練がよくされているなと感じます。
日常の中で「ここ不便ですね」と口に出せば「どうすれば良くなると思う?」「それって自分でやるとしたらどう実装する?」と聞かれ、すぐ「じゃあやってみようか」と言われます。
授業がクソつまらん先生も、挑戦に対して平気で「あ、そういうの作るなら協力するよ」と言ってくれます。
「無ければ自分で手を動かしてみる」という行動が推奨されます。
ググって調査して考えて、「これは現代技術では無理だ」とか「金銭の関係で無理だ」「今の環境では無理だ」といった確証ある壁に当たる可能性は大いにあります。
というより、ほとんどの場合そうなります。
それでもまずググり、考えます。
行動に至っても「理想が完璧に現実になる」という事は珍しいです。
大体、人間の発想で今現実に普及していない物を作ってもゴミが出来上がる事が大半です。
それでも、無ければ作ります。
ゴミを作ったり、良い物を作ったり、怒られたり、罵られたり、褒められたり、笑われたり、正と負どちらの経験も大事。エンジニアは特にそれが仕事に大きく関わってくる職業で、その経験の数が技術力となっていきます。
高専プロコン等で出会った優秀な学生や大学で成功している人、コンテストやハッカソンに出てくるような人、社会で成果を出している先輩方はみんな直感的にその考え方が出来ているなと感じます。
「無いのでじゃあやってみよう」と手を動かします。
常に不満や望みを考えて、時には直感的かつ挑戦的に物を作って、経験を積んでいきます。
「これが必要だな」と思ったら「作る」行動へ繋げられる。
そういった考え方が経験と技術力と評価に繋がっていきます。
- 今までを振り返っても -
自分の今までを振り返っても、実際今無いもの作ってみる行動やその経験から生まれた判断が評価された事がほとんどだったなと思います。
研究室で欲しいものがあれば作ってきました。
共用のGPUサーバもGitも寝られる場所も作りました。
研究内容も「これが不便だなあ」と思ったものを研究しました。
時には学校にもの言って、色んな事をやらせてもらいました。
会社に入っても、「今これが必要とされてるけど会社に無いよなあ」と思ったら作るようにしています。
システムも制度もです。
結局そこで作ったことで色んな事を任されるようになったし、自由にできるようになったと思います。
失敗してクッソ怒られたりもしましたが、その分新しい物を作って評価されていると思います。
- やらない社会 -
大学や会社では「作ってみよう」って本当教えないですよね。
僕が「これ欲しいなら作ってみない!?」って言って行動してくれる仲間はほとんど居ませんでした。
「それ不便ですし何とかしましょう」と提言して協力してくれる教授や先輩も少なかったです。
良い物を作るためには理論だけでなく、技術選定や作る上での失敗を経験しておく必要があるのにね。
一生作らない言い訳を考えてて欲しいです。
俺は作って変えるために考えるからな。
作るために考えるし、作るために動くからな。
- おわりに -
作らない人がどうこうという話はどうでもよくて、「無ければ作る」は社会で武器になっていきます。
最初に作る事、作る経験、作るための思考、作った物への反応すべてが技術力に繋がります。
だからこそ、いつまでも「無ければ作る」を忘れないようにしたいなと思います。
そして、そういう気持ちで物事を言ってくる後輩が居た時に、協力できる人になりたいと思います。
無ければ作る人達を応援し続けたいです。
最後になりましたがタイトルはなんと575です。