- はじめに -
かつてこんな事があった。
この時僕は学生で、機械学習や人工知能といった研究をする中で当の人工知能学会にも足を運んだりしていて、偶然ホームページを見て「次の学会誌の表紙良いな」と思い以下を投稿した。
人工知能学会誌の新表紙良いと思います
— ばんくし (@vaaaaanquish) December 25, 2013
http://t.co/FIANCAXAkd
pic.twitter.com/pF685QJdW6
RTが伸び、次の日にはtoggetterがホットエントリ、その次の日には性に関する大論争になってしまっていた。海外の記事にもツイートが載り、世界の話題になっていった。
以降、地方の海女さんのキャラクター等で度々掘り返され認知され、最近は東京メトロのキャラクターの件でまた話題になってタイムラインでもちらほら見かけている。
良い機会だと思いながら、確かに議論する事は大事なんだけどそれ本当に性の権利や日本が良い方向に向かう為に言ってる?自分の承認欲求満たしてるだけじゃない?という話をつらつら書く。
- 僕はキツかったよ -
まず自分の話をすると、人工知能学会誌の炎上はつらかった。
そもそも自分が長い時間費やして学んで来た分野だし、積極的に活動していた最中だったので、趣向と全く関係ない旨で話題になってしまった事が一番申し訳なかった。
もうTwitterでは昔の話として扱っていて、たまにこの話をするんだけど
学会誌の渦中、ほんと申し訳ない気持ちで一杯だったし意味不明なリプライやDMめっちゃ来るし挙句大手勉強会で冷やネタにされててトイレで吐いたし最悪だった。
— ばんくし (@vaaaaanquish) March 10, 2016
こんな感じだった。
僕は確かに人工知能学会に所属していたし、研究活動もしていたんだけど、表紙とリンクを投稿しただけの僕に対して「女性軽視だ」とか「あなたは日本の恥」「何も考えずに投稿しないで下さい」みたいなリプライやDM、メールがめちゃくちゃ来てて、毎日が大変だった。
関係者のみなさん、本当すいませんでした。
- 応援側が少なく感じた -
インターネットの炎上は、批判側は画像とリンクを投稿した僕に対して、絵に対する批判や人格批判のようなリプライを平気で投げてくる。
巻き込みリプライというやつだ。
"@vaaaaanquish"の文字列がツイートに入っている形式なら、全部僕に通知が来る。
最近は僕のツイートのURLが入っていても通知が来る。
メールアドレスやDMも自由に送れるため、その手の批判が長文で色々な形で飛んでくる。
とにかく絵の批判も日本の制度の批判も趣味嗜好性に関する批判まで大体僕に通知が飛んでくる。
対して賛同者や応援してくれる側の意見は僕に通知されない場合が多い。
通知が飛ばない方法を選んでいる人が多いのもある。
何より「批判に対する批判」や「風潮への投げかけ」である場合が多いので、僕に通知する形はほぼ取られない。
実際「お前が気にする事じゃないよ。」と言ってくれるのは本当に身内の何人かだった。
海外からは「いや、話題だけど俺は好きだぜ。もっとこうなれば良いのにな。HAHAHA」みたいな英語のメールも来てて励まされたりもしたが、本当に両手で数える程だった。
そうなってくると周りが敵だらけに見えてしまう。
1学生で研究者としてもエンジニアとしても若輩者の僕は、その手の勉強会に行っても、みんな「アイツ炎上させやがって」等と思っているのでは…?と邪推してしまう毎日だった。
- 批判する対象と言葉とやり方を選べ -
インターネットで「直感的な表層だけ相手にぶつける」というのは「議論」ですらなく「批判」ですらない。
不満を原動力に自分をただ前に出して、枯れ果てた承認欲求を満たそうとしているだけだ。
僕があの学会誌の表紙をはじめて見た時「良い」と思ったのだから、「これは良くない」と思う人が居るのは当たり前で、その意見がぶつかり合う事は当然あり得ると思う。僕だって、芸術や音楽、文化、行動、言動、制度やシステム…色々なものに対して「これは良くない」と思う時がある。
じゃあその「良くない」という感情はどこにぶつけるべきだろうか。
当たり前だと思っていたが、当たり前では無さそうなので言っておくと、SNSの自分のタイムラインではない。
愚痴なら愚痴で自分のタイムラインで良いのだが、人を巻き込む場合は相手を選ばないといけない。
そしてそれらは最も熟考される必要がある。
例えばはじめに挙げた例で言うなら、自らの権利や不快感を訴える名目で主語が大きくなってないだろうか。
自分の感情が否定しているのは企画者?OKした人や組織?イラストレーター?社会全体?
そのためにどの対象にどの場所で訴えるかは、議論への発展やその結果に大きく影響する。
加えて目的は明確になっているだろうか。
その行動、言動の結果どうなって欲しいかちゃんと表現できるのは大事だ。
ただ嫌だからとりあえず口に出すというのは、猿の赤ちゃんでもできる。
一見世間の批判的な流れで物事が変わっているように見える。
ただ、その流れは色んな歪みを生んでいる。
歪んだ変更なんか続けても、人が居なくなるだけだからな。
ただ僕自身も少し前に自分の会社の制度をボロクソにただ批判してた時もあった。
その件では会社でボコボコに怒られた訳なんだけど、その時上司に「でもこれおかしくないですか?」と言ったら「ならお前が変えれば良いじゃん」と言われてハッとした覚えがある。
相手やその現状を変えるような行動、言動にこそ意味があるのだ。
確かに会社とか社会全体の色々って、デカいし複雑だし自分には変えられそうにないという意識が大きくなって、自分の小さな意見を投げるだけ投げて承認欲求が満たされ終わりという形に逃げがちになってしまう。
ただそれでは議論し考えてる風な欲求とシェアされたい欲求が満たされるだけだ。
SNSに投稿するだけで終わるんじゃなくて、その感情をちゃんと本家本元に届ければ良い。
感情に自分が相手を説得できると思う調査結果や知見、根拠を乗せて、言葉を選びながらやるべきだ。
その感情や考え方が相手を変える事もあるのだから。
- おわりに -
よく言うんだけどまずは「自分が出来ているか」を考えて欲しい。
まず我が身から。反面教師。
加えてアドバイスなんだけど、もし自分の意図と反して炎上したら、まず全ての通知を切ったほうが良い。
本当に精神に毒だし、最悪インターネットなんかなくても生きていける。
投稿を消ししても良いし、アカウントを鍵にしても良い。他のSNSに移っても良い。
「自分が間違っていたかどうか」反省して振り返るのはその後でもできる。
まずはその毒を吸うのをやめた方が良い。
少ない味方にも積極的に頼っていけ。
あとこの記事を書くにあたって、学会誌のツイートや関連したWebページをいくつか見たが、以前3千RTとかだったが今は1150RTだし、キツいリプライや記事の多くは消えているという事がわかった。
もしかすると、あの時キツいツイートをしていた人達は淘汰されていったのかも知れない。
ただ、転生しただけかも知れないが。
あまり後味は良くないが、僕は元気に生きている。
おわり。